個展 [Breathing Buenos Aires] を振り返る

2020年3月18日、偶然にも父の誕生日であるこの日に、自身初となる個展「Breathing Buenos Aires」を横浜関内で開催した。展示を終えた翌日の今日、燃え尽き症候群になることを必死に堪えながら5日間の会期を振り返る。

まずは会場に入る人が真っ先に読むステートメントから:

”ふと、故郷アルゼンチン・ブエノスアイレスのことを思い出し、
恋しい記憶を形にしようとこの写真展を開くことにしました。
どこかあの街と似ている横浜で、
アルゼンチンワインを味わいながらタンゴに心を弾ませ、
写真に閉じ込めたブエノスアイレスの空気を感じていただければ幸いです。”

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ここでいう「ふと」今回の個展の開催を決意したのは昨年の9月末ごろ、会場となる関内にあるバーのオーナーに連絡する数日前、この時点ですでに故郷ブエノスアイレスを主題とした写真展を形にしたいと、うずうずがピークに達していた。それまでに写真展として、しかも初の個展として形にしたかったのは、更にさかのぼること3年前の2016年に一時帰国した当時のブエノスアイレスである。久々に訪れた故郷での滞在期間は一週間。私の故郷への想いを大きく変えた旅であった。

日系家庭に生まれ、幼少期から常にアルゼンチンと日本の境目に立ち、両国のコントラストを天秤にかけながら生きてきた。生まれたのはアルゼンチン・ブエノスアイレス、ルーツは日本。1990年代初期の当時、地球の反対側にある「日本」という国についてリアルタイムで得られる情報は少なく、物心がついたころから一つの理想郷として日本や大都市東京に対して何も知らない子供ながら少しプラトニックな憧れを抱いていた。一方、すぐ手が届くブエノスアイレスの街はどうしても格下に見えてしまい、嫌なところばかりが目に入り続けた結果どうしても故郷を愛せぬまま国を後にした。2011年、大学を卒業して東京へ移住した年の話である。

東京での生活に慣れ、年月が経ち、5年ぶりにブエノスアイレスを訪れた。5年ぶりに再会した街は、びっくりするほどに、呆れるほどに変わっていなかった。相変わらず気を抜いて歩いていると犬のフンを踏み、交通機関にはダイヤという概念がなく、耳に入る人々の会話はいい加減である。でも一番びっくりしたことは、それらの光景を見て懐かしさと、何より愛おしさを感じている自分がそこにいたことであった。

会場に展示したタンゴの歌詞:La Cumparsita / Gerardo Matos Rodríguez

会場に展示したタンゴの歌詞:La Cumparsita / Gerardo Matos Rodríguez

生まれてから30年かけて故郷を嫌い、思い出し、愛した。記憶を刺激し、ブエノスアイレスの空気を呼び戻してくれる写真で「Breathing Buenos Aires」を作り上げるのは避けては通れない道のように思えた。

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在廊5日間は言うまでもなく刺激的であった。
甘えが生じないように個展「初開催」の言葉は最初の告知から展示の最終日まで使用を伏せ、写真を見せる場の枠を超えBGMから提供されるワインまでアルゼンチンを感じさせるものに拘らせてもらった。これについては改めてバーのオーナーに感謝の気持ちしかない。その甲斐もあってか、来ていただいた方々に新たな旅先としてブエノスアイレスの魅力が伝わり、この街を過去に訪れたことがある人は笑顔で思い出を語ってくれた。そして彼らの弾んだ話を嬉しそうに聞き、また、故郷のことを誇らしげに、額に汗を光らせて来客に展示の説明を熱く披露する私自身もいた。ここにきてまた、ブエノスアイレスの虜になっていたのであろう。

「Breathing Buenos Aires」故郷とどこか似ている横浜にある小さなバーから、愛を込めてお届けしました。

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Tomas H. Hara3 Comments